2014.3.23(日) 天野和彦(S34生まれ) 福島大学特任准教授    ビッグパレットふくしま避難所県庁運営支援チーム責任者 講演会:『ビッグパレットフクシマから学ぶ』 富岡町の支援  ------------------------ ◆天野先生の言いたいことのエッセンスは 人の生命、安全・安心を守るのは住んでいるまちの自治活動だ。 それは住民から自発的に生まれてこなければ自治にならない。市役所がいくら動いてもダメだ。 ー聞いてメモしたことー 県外避難者  仮設住宅  借り上げ住宅 → みなし仮設住宅という おたがいセンター 今は生活復興支援サロン てんぷらパーティ:仮設住宅に住む避難者はてんぷらを食べることがことができないことを想像 できるか。 仮設住宅では部屋が狭くててんぷらを作る(揚げる)ことができない。そこで、てんぷらパーティを 開いたら、みんな大感激。 普段していることが出来なくなるのが仮設住宅だ。 500マイルの歌  (元は、徴兵の歌、originalは放浪者の歌) 忌野清志郎 / 500マイル http://www.youtube.com/watch?v=8PLeYulhuCI 浜通り  中通り  会津    これはstreet(通り)の名前でなく、町の名前だ。 93歳の老女の自死:避難しようといったら「私はお墓に避難する、みんなの足手まといだから」と 遺書を残して。大往生。 避難所に行くことを嫌がった挙句。 富岡町、浪江町 政治やマスコミは「除染すれば帰れる」ようなことを云っているが、全く嘘だ。 家は雨漏りでボロボロ、地震で屋根や壁が隙間だらけだから。ねずみの被害、牛、豚が入ってくる。雨水で腐って、きのこが生えている。 樹木が家屋を覆っている。 富岡町、1,000人いた小学校は今は30人。 未来の町はと聞かれた子どもたちの応えは、驚くなかれ、次のようなもの。  「元のまちに戻ってくれ」というものばかり。  こんな未来を語る子どもが他にいるだろうか → 未来都市を描く子どもは一人もいない。 子どもらに夢を聞くと  └→ あのとき、教室から何も持たないで飛び出してきた。     だから、夢は「戻って、本を閉じ、ノートを片付けて、鉛筆を筆入れにしまいたい」  こんな夢を描く子どもいるだろうか。 「ふるさと」がなくなるということはこういうことだ。 そもそも人間とは ―― 人間の価値 ―― 人間が人間らしく生きる ― 人権   幸せになりたい   幸せとは   幸せの価値   = 生まれてきてよかった、と実感すること。    地域コミュニティ エリア(場所) + コミュニティ            ↓    絆(きずな) = 繋がり   「絆」の意味は  ほだし = 縛り付ける、手枷・足枷をつける                   = 煩わしいもの (放っといて欲しいのに…)   パラドックスだが、「絆」とは人と人の繋がりの意味であることが浸透した。 ①地震・津波   ②原子力災害 福島は二重のくびき → 被災地に住むことができない 心の復興、人間の復興へ。  福島は復興、復旧のスタートラインにも立てないでいる。  住み家だけの問題ではない  暮らしそのものだ → 文化・教育・福祉   直接死(災害死)    650人     その後の災害関連死  1500人         ↓   先が見えないこと、無職になって生活の不安定さから来るストレスが死因。  3月16日から8月まで160日間、大規模避難所「ビッグパレットふくしま」へ行ってもらって避難生活を送ってもらった。 ビッグパレットふくしまは、福島県郡山市にある多目的ホール。正式名称は、福島県産業交流館。 公益財団法人福島県産業振興センターにより運営されている。見本市をはじめ、会議、研修、スポーツ興行、演奏会、同人誌即売会など様々なイベントで使用されている場所。 3月11日地震の日の翌日12日、情報が全く途絶えた中、放射能で死ぬかもという噂が広がり、 町中が車で移動を始めた。朝7時には大渋滞。 1時間に50mしか進めなかった。 未曾有の原子力災害 → 大規模避難所となったビッグパレット(東京のビッグサイトのようなもの)の中では、コミュニティが崩壊していた。  そこで、天野先生のミッション   生命を守るためには自治活動だ。 自治活動を立ち上げさせる。 阪神淡路大震災・中越震災では多くの孤独死が出た  これを教訓に   【交流】の場の提供 と 【自治】活動の促進 一人で避難してきたら、一人ぼっち          ↓   一人ぼっちだと、人は死ぬ        ↓    一人ぼっちにさせない        ↓    喫茶スペース(サロン)の設置    足湯  〃         … 福島には温泉が多い。        ↓ もう一度、避難所に戻りたい。そこには人の息づかいが聞こえる。 という意見が出てきた。 仮設住宅は一人ぼっち。 サロンを用意するまで、避難所は人がゴロゴロして、寝ている人ばかりだった。 サロン=お茶のみ場=のスペースを作ってイスを並べたら、自治が生まれて行った。 起き上がってやって来る人が増え、そして、自発的にサロンに名前を付けた(さくら)。 汚れたら、きれいにしようとモップ掃除を始める人が出てきた。 そのうち役割分担を決め始めた。マスターが現れた。自然に自治が始まったのだ。 福島では3時には人は集まらないが、4時から集まる。  └→ 理由はTVで4時から水戸黄門が始まるから。 おたがいさまセンター(http://odagaisama.info/)を作ってコミュニティの再生を図った。 (「おだがいさま」の心をつなぎ、ふるさとを見つめ続ける県内外で避難生活を送る富岡町民の生活復興支援の拠点) 人がバラバラ  さみしい → 死ぬ  死なせないために、交流と自治。  絆を作る → 「ほだし」ではなく、「つながる絆」 人はつながっていないと生きられない。 毎週金曜日はサロンの日、みんなでお茶を飲む日。 繋がらないと死んでしまう。 食べ物を持って集まる日になった。 繋がりの場が自治会だ 自治   喋る ― 吐く ― 叶う になる     吐 → 叶   「吐」  口ヘンに+(プラス)とー(マイナス)     +:いいこと、楽しいこと   ー:イヤなこと、おもしろくないこと    イヤなことを全部喋りだせ=吐き出せ    すると、ーがとれて、+だけが残る  即ち、吐は 叶 という字になる。    生きて行く 生きている 地域=ここでは避難所=におけるコミュニティの形成。 交流 と 自治  =  生命を守る活動  生きがいと居場所づくり運動 避難所      と      専門機関 との協働  ↓               ↑ 長期化すれば問題が発生する → 問題解決 役所の愚かさ (次は阪神大震災のときのことか? いつのことか不明) 好意のある事業家から毛布と水・食料(おにぎり)が寄付されて役所に届けられた。 役所は 避難者の数よりも届けられた数は少なかったので、      └→ どのように配分しようかと考えた      └→ その間におにぎりは腐ってしまった            ↓ その後は、町の活動家が自分たちの任せろといって、計画的に配っていった。 高齢者、子ども、妊婦、病人、弱者から順番に。  └→ これがNPO活動の始まりだ 行政の公平性 血の通った行政    矛盾するかしないか 避難所で、ある女性から女性専用のスペースが欲しいという意見が出たとき、 結論は、別の女性がその意見に反対して沙汰止みになった。   └→ 着替え場所? 着替えくらいなんだ、こんなときに…。 課題が提起されたとき、自分で考えるのではなく、みんなで考える。 そして結論を導くことが大事。 住民から要求(課題)が出ると、受け取った人は自分で解決しようとしないで 住民に返す。そして住民と一緒に考える。 市民が公共を担っている   行政=公共 ではなく、市民=公共 を考える。 道路の修復などもそうだ。 避難所の運営については 内閣府のHPに取り決めが掲載されている。 食料などは避難所内だけとするのは誤りだと書いてある。 災害 復興 復興とは社会の脆弱性を克服すること。 災害に備えて準備していること以上には何も出来ないことそ知るべき。 災害で地域課題が顕在化することになる。 「防災の町」づくり、そのような言い方よりも「人と人が繋がっている町」づくりだ。 もともと人は繋がっていないといけない それで、結果として、防災・福祉になる。 「わざわざ防災の町づくり」などは必要ない。 一人ぼっちにしないことだ。 行政が防災のまちづくりなどと云わないで、住民によって自然に発生するのがベスト。 自然と隣組、隣どうしでお喋り。 お互いさまの精神・ちから 公民館は日本独自の仕組み。 人づくりを通して地域を耕して行く。    課題    ――→    対応事業           ↑            ↓            ↑   学びの循環    ↓       交流の場と自治活動    ↑            ↓    地域運動  ←――    学習集団 エリア毎に自治会を作る   そのための準備会を推進者(行政)が作る 今は訪問が一番の支援だ。 避難者は時間を持て余している。 生きがいと居場所が必要。    引っ込み型の人は出てこない。 来る人は来る。 避難者から情報の提供と発信 命は助かった → 次、どうする → 絶望 フクシマは闇が深い         |                   ↓            移動居酒屋で自分の言葉を吐き出す  新しい公共 → NPOを指す   行政のやれること、やれないこと  おにぎり事件(配布方法) → 預かったボランティア → NPO化(議員立法)                             └→ 新しい公共   釜石小学校校歌  井上ひさし 作詞 釜石小学校校歌 3月11日の大震災以来、何かと脚光を浴びているこの校歌 「いきいき生きる  はっきり話す」ことの大事さ。 この歌詞こそ、自治の姿なのだ。 『一人で立って、しっかり生きる』 井上ひさしが作詞を引き受けるにあたって、約束を求めたことは、 提出後、「歌詞に一切手をつけないこと」だったそうだ。 【作詞】井上 ひさし   【作曲】宇野 誠一郎 いきいき生きる いきいき生きる ひとりで立って まっすぐ生きる 困ったときは 目をあげて 星を目あてに まっすぐ生きる 息あるうちは いきいき生きる はっきり話す はっきり話す びくびくせずに はっきり話す 困ったときは あわてずに 人間について よく考える 考えたなら はっきり話す しっかりつかむ しっかりつかむ まことの知恵を しっかりつかむ 困ったときは 手を出して ともだちの手を しっかりつかむ 手と手をつないで しっかり生きる --------------------------------------EOF------------------------------