手紙(メール)を書いた。 活動縮小の通知。

  • 青山です。

    ☆ーーーさん☆ アースディやらその後のセミナー、いろいろ企画されておられて、そのバイタリティに心から敬意を表します。

     

    FB、普通の投稿ではなく、情報発信Gの非公開のページに投稿されているのは、それなりに意図されているところがあるものと拝察します。

     

    私は自由に気ままに泳がせて頂きます。5月の鯉幟のように。特に土日休日をフリーにさせて頂きます。だから、ご協力の申し入れは控えさせて頂きます。

     

    昨年末から新年かけて自分の生活ぶりを見つめ直して、今年からは選別して自分の思うように過ごしたいと考えています。そんな折に、ある方の思いつきのような市長選出馬宣言には、正直、閉口していますが、バックオフイス程度の作業なら行きがかり上やむなしと思って選挙準備のお手伝いを引き受けました。ただ何も知らない私をモーレツに頼りにしているのが大問題で、いくら言っても「頼む」とのことなので仕方なくです。選挙に詳しい人を参謀に入れろと私は言っていますが進展はありませんし、その展望も見えません。落選間違いなしみたいな選挙応援なんて私の本意では全くありません。

     

    別にそんなことは理由ではありませんが、私はいま気持ちを切り替えています。その理由は、西東京市の人がある程度見えてきたことです。いつも会う人は同じ、来る人はいつも同じです。その人を通じて町が見えてきて、かって私がリタイア直後に痛烈に感じた町を知らない、町の人を知らない、という寂寥感というのか、疎外感というか、孤独感か、そんな気持ちが急速に薄らいで来たことです。

     

    昨年末以来、新年にかけて思ったことは、自分のこれからを自分の納得のいくように、引きずられないで自分の気持ちに忠実に、自分の思った通りの方向に歩きたいと言うことです。裏を返せば、今までは、頼まれるがままに何でも引き受けて手伝ってきたという自己埋没です。楽しくないことでも請け負って来ました。事実それを選んでいたのは自分ですが。

     

    アースデイだけが都合悪い、協力できないと回答すれば、後は受諾かと思われては信頼関係が崩れますので、私の本意として、私を当てにしないで頂きたいということをお伝えします。当てにしてなんかいないよであれば、それは実に至上の幸いです。

     

    傲慢かも知れませんが、私は人が見えて来て町が見えて来て、市や社協や包括が市民サポーターを必要としていることも、町の活性化にひたすら取り組んでいる情熱家たちのことも分かりかけて来ました。そして、それらに繋がる大勢の人たちがいることも判りました。この大勢の人たちとの対極にいる人たちも大勢いることが同じく分かりました。

     

    そこで、クールに眺めて今思っていることは、今後は着かず離れずで町とお付き合いを続けて行きたいということです。これは、自分に残された限られた時間を大事に使いたい、即ち、自分のために、自分がより楽しめるところに、情熱が湧くところに使う時間を増やしたいことです。そのためには土日休日を占拠されることなく、自由にしておきたいのです。

     

    私にとってはサンデー毎日の現在ではありますが、しかし、ほんとの日曜日はカレンダーの日曜日以外にはありませんから。

    諒として頂きたくお願いします。

    __________________

    以下はその後の感想

     

    西東京お父さんの帰りなさいパーティも今後のお手伝いは止めると宣言したし、地域デビューで世話になった人のイベントには義理で顔を出していたけど、これも面白くなければ行かなかくなった。

     

    2010年以来、町へ町へと向かっていた気持は、このところ急速に変わってしまった。面白くなければ行かない、ということだけど、真の理由は、実はリーダーというかトップに立っていると思われる人の感覚が私には合わないからだ。リーダーシップという概念の不一致。町の活動でも会社の行動でも同じはず。責任感と束ねる力はどこでも必要なこと。こんな論争すら通じ合わないから困る。これをパラダイム・ギャップと私は呼んでいる。

    私は余裕があるから、引き受けたことは完成品にして終える。それが積み重なると、どんどん私に押し付けてくるようになる。そして、それまでの人たちは責任から逃げていくというか、ラクをしようとする。気がつけば自分だけが重たい荷物を持たされている、ということになるかもしれない。こんな町の人の動き方を見てきて、町の中での活動に不条理を感じ始めたこと。

    いま、性に合っているのはどの活動だろう。どこもかしこも私に対する視線は熱い。熱心にやりすぎたから。いい結果を残したから。

     

    裏返すと、元気に退くことの難しさ。一度、首を突っ込むと辞めることができなくなるのが地域の活動。これを見据えて考えることだ。

     

    まちの活動 町活。人事考課・査定のないゆるいつながりの組織での活動における評価は自分が感じ取るやりがい、いきがい、ということか。それなら、それを感じるところを探すことだ。  

     

LINK

あおさんのブログ 

  Ameblo