ジャンボが消えた

1972年から飛んでいたジャンボ B747機が2014年3月31日で国内線から引退、消えた。理由は経済性が悪いから。いろんな思い出がある。私が国内で知っているのはジャンボ機とプロペラ機のYS-11だ。国内の出張で使った。

B747機は500人以上乗せる大量輸送旅客機。御巣鷹山に墜落したジャンボは520人も乗っていた。機内は息の詰まりそうなすし詰め乗客。

 

私にはジャンボと聞くと思い出すことがある。エコノミークラスの乗客なのにタダで広い2階を使っていたことを。中東の仕事に携わっていたころ、もう30年も前の話。カタールに製鉄所を建設することになって、建設資金・運営資金の調達のために中東の金融市場を調査するために何度か往復したときのこと。当時の中東の金融の中心は戦火を避けてカイロ(エジプト)からベイルート(レバノン)に移り、マナマ(バーレーン)が台頭し始めていた頃だ。そして、産油国があり余るオイルマネーをどのように投資・運用するか、先進国に知恵をつけてもらっていた頃。日本の証券会社・金融機関が中東参りをしていた時代。私たちが訪問すると相手のデスクに必ず日本人の名刺があった。それを見て初対面の挨拶が始まった。私の名刺もいろんな人に見られていたのだろう。

 

初めてベイルートに行ったときはパンナム世界一周便に乗った。羽田→香港→ニューデリー→テヘラン→ベイルートだったように思う。寄航するたびに各空港で下ろされる。その間、機内掃除が行なわれる。着陸態勢に入ると、4つのシートの上に横になって寝ていると、スチュワーデス(キャビンアテンダントという言葉はずっと後のこと)が足を引っ張って起こし、座って安全ベルトをつけろという。世界一周便というというと響きはいいが、時間はかかり、機内は、特にトイレはきれいではなかった。スチュワーデスはきれいな人というより体格の大きい年配の力持ちという印象を持っている。私の足を引っ張った人は思いッ切り引っ張っりやがって痛かった。家畜みたいな扱いだった。彼女らは寝ている客の足を順番に起こして行くのだけど。

 

そこで、好きな人がいるもんで、調べまわって、羽田を出発した後、香港でキャセイパシフィック機に乗り換え、そして、ドバイでミドルイースト機に乗り継いで行くと、機体は新しく、きれいだということで、そのルートに変更した。中東便は中東の各地に着く時刻は全部真夜中午前2時、3時ごろだった。押収の各都市には午前・午後のいい時間帯に到着するようにスケジューリングされている。

 

そして、次にKLMが羽田からドバイ経由オランダ行きの直行便を飛ばすことが判ると、これに乗り換えた。理由は、きれいで空いていてジャンボの2階も使わせてくれることが判ったからだ。KLMはエコノミークラスの客でも、乗り込んだ後、2階へ行きたけりゃどうぞ、というわけだ。私たちの仲間は広い上の階に上がった。シートの広さが格段に違う。後にも先のもジャンボの2階はこのときしか知らない。2階へ行けば眺めがいいわけではないし、ただ空席の広いシートがあるだけ。KLMはきっとタダでファーストクラスに行かせたのではなく、日本人サービスで2階へ行かせたのだろう。

 

ジャンボというと何故かこのときの螺旋階段を上った2階のシートを思い出す。日本人はせせこましいウサギ小屋に住んでいるなどといわれていた時代、機内でも同じようなすし詰め状態から抜け出したいと思っている気持ちを汲んだKLMのサービスかも。ただし、知っている人だけが2階に行っただけで、乗客みんなが知っていたわけではない。

 

ジャンボが日本の空から消える聞いて、思い出した。YS-11もとっくの昔に引退したんだ。私の引退はもう少し先。

 

 

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